【命の旅立ち】最大の供養~「忘れない事」~(9月7日)
最大の供養
投稿者:ギャンブラーさん
投稿日:9月5日(日)
レオさんこんばんは。この度は心からお悔やみいたします。大変なことが続いて心痛められてると思いますが、探偵社を楽しみにしている人もいるのでどうが前向きにと願うばかりです。
さて大切な人との別れですが、私も7、8年前に立て続けてありました。中学からの親友と父になります。
8年前、私は政治関係の仕事をしていました。汚れた事も大なり小なりある中で、迷いもある中働いてた時、その電話が鳴りました。東日本大震災後でまだ世の中がざわついていた時でした。
その電話は共通の友人でもある、わたしの元カノからNが亡くなったよと…
Nとは中学からの悪友で学生時代は彼の家に居候させてもらったりもしたり、青春の大部分を彼と過ごしてきました。事態が分からないので急ぎ彼の家に駆けつけると、お母さんと弟が呆然としていて…自死したと。車の中で練炭でとの事でした。
遺体は警察で解剖するのでまだ戻っていない事など状況がわかってきました。その後、ご家族、友人や彼女の話を聞くと金が原因と…
個人的にはそれもはした金だなって思ってしまいました(会社潰した時の私のが多いわって)…なんで相談しなかったんだろ…私が、家族持ったから遠慮したのかなど落込みました。
とりあえずご家族には弁護士紹介して、葬儀までは無事に済ませました。ただ焼き場にはどうしてもいけなくてご家族にも話してご遠慮しました。その親友の死をきっかけに私は政治関係の仕事から足を洗いました。
彼の分まで社会に貢献できる仕事をやろうと決めたからです。
私にとっては今でも悲しい出来事ですし、未だにふらっと飲み行こうぜと電話が鳴りそうな気がしています。
それから一年後、今度は出張中に、おかんから電話があり、お父さんが大変なのと…
話を聞くとあかんと二人で車で出かけてコンビニに寄ると父が言い、おろしたのを確認して車を移動させようとした時、父が飛び出しておかんがぶつけてしまい、すぐに止めたが父が縁石に頭をぶつけたとの事でした。
岐阜にいた私は急ぎ戻り、千葉の大学病院に搬送された父のところへ駆けつけました。おかんは警察の取り調べの後に病院に来たらしいがひどく動揺していました。
医師の話を聞くと腫れがひどいので頭蓋の一部を外したが、脳幹でも出血が見られるとのこと。ネットで調べても絶望的な脳幹出血でした。それから一週間父は頑張りましたが、意識は戻らずやはりダメでした。
あれほど仲良かった夫婦で不幸な事故、本当にいたたまれない気持ちでした。父の兄弟にはおかんがぶつけたとは話せず、色々心苦しかったです。
ちょうど亡くなった後、妻に子供が出来ている事がわかりました。
親父の生まれ変わりなのかなと思います。名前も親父からもらい一文字違いの名前にしました。その子のおかげで母も元気になり、孫の世話に人生をかけているようです。
身近な人が亡くなると悲しいです。ただ悲しみの後には喜びや楽しみもきっと訪れます。忘れない事、それが亡くなった人への最大の供養だったりするのかなと。
ご友人、そしてお父様を不慮の事故で亡くされたとのことで、心中察するに余りあります。
どのような形であれ、家族など人生においてかけがえのない存在が旅立ってしまうと言葉に出来ないほどに悲しいですが、その原因や最期の状況というのは、残された者の悲しみの大きさに影響していることは間違いないと思います。
きっと、ギャンブラーさんのお子さんはお父様の生まれ変わりで、悲しみに暮れていたお母様に希望を届けるために再びこの世に生まれてきたのかも知れません。
人はいつか必ず大切な人たち、愛する人たちとの別れを経験しますが、共に生きた時間・記憶が失われるわけではないので、ギャンブラーさんがおっしゃるように故人をいつまでも忘れずに、たくさんの思い出と共に生きていくことが最高の供養につながるように思います。
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