不思議探偵社

UFO・宇宙人・予言・古代文明・超常現象・都市伝説・占い等 最新ミステリーから謎多きミステリーまで!さくらさんの未来予知公式サイト

             

予言・予知・占い

[謎解き]チョココロネさんの考察ページ(11月14日更新)

2017/11/14

チョココロネのイラスト

みひろんさんのおばあちゃんの「海の神様の話」において、説得力のある考察を継続的にご投稿してくださっているチョココロネさん

みなさんからの考察も増えてきたことから、チョココロネさんの考察を掲載するページを作りましたっ!

お告げ(10月5日掲載)について(11月14日) NEW!

お告げ(10月5日掲載)にある二つの短歌

みやしろに ぬすびとのこえ そよきこゆ うばひたるたま あなみそかなり

もみじなく ゆきのとけたる あかしやま こがらしふきぬ あかもしろとて

について考察します。

(1)「みやしろに~」の短歌について

宮城に 盗人の声 そよ聞こゆ 奪いたる玉(/魂) あな密か(/三十日)なり

意味:宮城に盗人(曲者)の声がかすかに聞こえる。ああ、何て事だ!密かに玉が奪われてしまう(月末に奪われる)。

考察:※「みやしろ」を御社(神社)、「たま」をその神社のご神体の玉として考察することもできますが、ここでは「みやしろ=宮城」として考察します。

・宮城(みやしろ、きゅうじょう):皇居の以前の呼び名
・盗人:泥棒、曲者、したたか者
・密か(みそか):ひそかに、こっそりと
・三十日(みそか):月末、月の最後の日

句では、宮城(=皇居)から玉が「みそか」に奪われる、とあります。みそかは「密か」と「三十日」の掛詞であり、ひっそりと、また月末に奪われると読めます。

皇居で奪われる玉とは、おそらく「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」のことでしょう。

八尺瓊勾玉は、唯一皇居に保管されている三種の神器の一つです。天孫降臨でニニギノミコトが地上に降り立つ時に、天照大神から授けられました。

八尺瓊勾玉を含めた三種の神器を受け継ぐことは、皇位継承の証です。万が一何者かに奪われるとしたら大変なことです。

句ではまた、盗人の声が皇居からかすかに聞こえるとあります。仲間と奪う算段でもしているのでしょうか?

「盗人」には、曲者(=怪しい者)という意味もあります。外部から忍びこむのはかなり難しい場所であるはずですが、盗人の正体も気になるところです。

ところで、八尺瓊勾玉は箱に入れられています。箱を開いて中を見ることは厳しく禁じられており、誰も、歴代天皇の方々でさえも八尺瓊勾玉を実際にご覧になったことはないそうです。

ただ、過去に冷泉天皇が箱を開けようとしたことがありました。結果として未遂に終わりましたが、箱を開けようとした時に中から白い煙が出てきたそうです。

この話は、おばあちゃんの「玉手箱」の話を彷彿とさせませんか?

(2)「もみじなく~」の短歌について

紅葉(もみじ)なく  雪の溶けたる  赤し山  木枯し吹きぬ  赤も白とて

意味:紅葉(もみじ)のない雪解けの「赤し山」に木枯しが吹く。赤なのに白だと言って。

考察:「赤し山(=赤い山)」と呼ばれる山では、すでに赤い紅葉(もみじ)の季節は終わっています。雪解けの山にはまだ雪が残っていて白く見えるので、木枯しが「赤い山だと言うのに、雪で白じゃないか」と、からかって吹いていく。という内容です。

この句には、不思議な点が2つあります。

1つは、この句に「雪解け(春)」と「木枯し(冬)」の2つの季語があり、それぞれ意味する季節が異なる点です。

雪は春でなくても溶けることがあるので、恐らく季語は「木枯し(冬)」のほうでしょう。

しかし季節が冬なら、なぜ春と誤解されそうな「雪解け」をわざわざ詠んでいるのでしょうか?

それが2つ目の疑問です。山が白いと言いたいなら、単に雪を詠めばいいですし、そもそも冬なのに雪が溶けているとはどういう状況なのでしょうか?冷たい木枯しが吹いているので気温が高いとは考えにくい。

とすると、地熱が高いなどの理由で溶けているのではないでしょうか。(雪山に溶岩が流れ出て、赤く白いという解釈もあるかもしれません。)

もう一つの考察です。

椛(もみじ)泣く  行きの解けたる  証し山  木枯し吹きぬ  赤もしろ(白/城)とて

意味:椛が泣いてる。「行く事」が解かれた証しの山では、木枯しが「赤なのに白(城)だ」と吹く。

考察:句では、何かの「証し」となる山を『赤とあるのに「しろ」ともあるじゃないか』とからかって木枯しが吹く、と詠まれています。

このことから山の名前に赤と「しろ」が含まれていると推測され、「しろ」が掛詞とすれば、白と同じ読みの「城」が思い当たります。

つまり、歌に詠まれている山は「赤城山(あかぎさん)」だとわかります。

※一つ目の考察では「赤し山(赤い山)」と呼ばれる山と解釈しましたが、赤城山は、「赤き山(赤い山)」が語源で「赤城山」になった、という説がありますので、どちらの考察でも赤城山が該当します。

もみじの漢字には、紅葉のほかに「椛」もあります。「椛」は木へんに花と書き、葉が花のように見える事を表現した国字(日本で作られた漢字)です。

「椛」を分解すると「木花→木の花」となり、木花咲耶姫を連想させますので、泣いているのは木花咲耶姫ではないでしょうか。

古事記では、天津神(天の神様)のニニギノミコトが地上(葦原中国、日本)を治める役目を受けて天から降臨し、国津神(地上の神様)の木花咲耶姫と出会って夫婦になります。

産まれた子の子孫が天皇となり、代々日本を治めてきました。※天皇が治めるとは、政治に介入する事ではありません。統治者として存在するという事です。

句では「行き(=行く事)が解かれた」とありますが、これは治める役目が終わり、地上を離れるという意味ではないでしょうか?

木花咲耶姫が泣いているのは、その別れを悲しんでいるからだと思われます。木花咲耶姫は国津神ですから、子孫が地上を出てしまえば、遠く離れることになりますので。

そしてもし統治者が地上を離れることになるならば、世の中は不安定になってしまうのではないでしょうか。

以上より考察をまとめると、

天皇が地上を治める役目を終える時が訪れる。その「証し」が現れるのが赤城山である。

「証し」とは、赤城山で冬なのに雪が溶けるような何か(地熱の高まり(もしくは溶岩の流出)など?)と思われます。

雪解け水はまた、別れを惜しむ木花咲耶姫の涙なのかもしれませんね。

木花咲耶姫は、火の神、また火山を鎮める水の神とも言われ、富士山に祀られています。

富士山と赤城山との繋がりまではわかりませんが、木花咲耶姫は山の神様の娘であり、赤城山は山岳信仰のお山の一つです。

二つの短歌「みやしろに~」「もみじなく~」を合わせて考えると、宮城から「たま」が奪われる事と、天皇がお役目を解かれて『行く事』とは関係があるように思えます。

このような事が起こるとすれば、時期はおそらく冬のみそか(=月末)で、もしその頃に赤城山で雪が溶けるような『何か』があれば、それは証しであると言えるでしょう。

この句を詠んだ後に女神様が「潮目はまた変わってしまっています。仮初めとはいえ、さんかい(山海?何故かここは平仮名で頭に入った)の和が揺らぐは悲しき事です。」と仰いました。

「さんかい」とは、「三界(=現世、全世界)」のことではないかと思います。

「たま」が奪われることによって、仮初め(=一時的)ではあっても、世の中の和が揺らぐ、つまり乱れるという事ではないでしょうか。

女神様はまた、「神在りの祀りの後、師走より静かにやってきます。はじめは気付く者は気付き、気付かない者は気付かないでしょう。」「助言をしておきましょう。今は大いなるお方の創りたもうた世の美しきものをしかと目に焼き付けておきなさい。」と仰いました。

出雲では、今年2017年は11月27日の夕刻~12月4日夕刻までが「神在りの祀り」の期間となります。

八百万神が出雲に集まり会議を行うこの期間、決議の内容によって今後の日本の(また世界の)行方も左右されるのかもしれません。

師走について

師走が、旧暦に換算した12月を指すのか、節月の12月(暦を小寒から立春の前日(節分)までで節切りしたもの)かで期間は多少ずれますが、その頃に静かにやってくるものに注視すべきかもしれません。

 

スポンサーリンク

 

「やがて来たりし時」と「ニの重なる年」の補足(11月14日) NEW!

11月3日に掲載していただいた投稿で、時白砂様の「やがて来たりし時」と「ニの重なる年」の年月日を書き出しましたが、それらは現在の暦を節分で区切った(節切りした)ものでした。

文中「旧暦で~」のように書いていたのですが、日付を旧暦に換算したわけではありません。(旧暦に換算すると日付が変わりますが、記述したのは換算していない現在の暦の年月日です)

以前の日本では、立春から節分までが1年でしたので、旧暦というより、節切りの暦から考えた1年、という意味でした。

紛らわしくてすみません。よろしくお願いします。

 

スポンサーリンク

 

[11月14日の更新はここまで ですっ!]


 

「二の重なる年」について

10月18日に掲載されたみひろんさん投稿の、「やがて来たる、ニ(2?荷?)の重なる年に注意しなさい。」について、「節分が2月2日の年」と先日考察しました(投稿日10月22日)。

その際、ニの重なる年を書き出したのですが、西暦のまま記載してしまいました。正しくは旧暦に当てはめるべきでしたので、訂正版を再度投稿します。

※旧暦では一年の始まりは立春、終わりは節分となります。

時白砂様の(1)「ひかりやすんず~」の歌では立春が年明けと詠まれていることから、時白砂様から知らされる時は旧暦表示が正しいのだと思います。

改めて、二の重なる年(節分が2月2日の年)を旧暦に照らし合わせると、

1)2024年2月4日~2025年2月2日→辰年
2)2028年2月4日~2029年2月2日
3)2032年2月4日~2033年2月2日
4)2036年2月4日~2037年2月2日
5)2040年2月4日~2041年2月2日
6)2044年2月4日~2045年2月2日
7)2048年2月4日~2049年2月2日
8)2052年2月4日~2053年2月2日
9)2056年2月4日~2057年2月2日

のようになります。この1)~9)の期間は、二の重なる年が4年毎に巡って来ます。

 

新たな「記憶のお告げ」(9/25)の考察1

原文:「ひらきひらきて ときわすれ、うつつもうつろも ひとしれず、いうにいわれぬ もどかしさ、たつにたたれぬ ふがいなさ、やがてふきたる いぶきうけ、たねあるみたま ひかりもえいず」について考察します。

この歌は、時白砂様が「やがて来たりし時を知らすぞ。」と仰り詠まれた歌の一つ(2つ目)です。

訳:「開き開きて 時忘れ、現も虚も 人知れず、言うに言われぬ もどかしさ、立つ(/辰)に立たれぬ(/祟れぬ) 不甲斐なさ、やがて吹きたる 伊吹うけ、種ある御霊光萌え出ず

意味:(物事が)次々に起き始まり時間が過ぎるのも忘れ、現実も虚構も人知れず(起きる)。言葉にできないもどかしさ、止めようにも止められない意気地なさ、やがて吹き出す伊吹を受けて、種ある御霊には光(生命力)が萌え出すだろう

考察:これから来る「大峠」について詠まれた内容だと思います。

大峠に入ると、タメシ(試練)が立て続けに起こって時間の過ぎるのも忘れるほどである。また、うつつ(現実)での事も、うつろ(虚構)もひそかに人知れず起こる、とあります。

「うつろ(虚)」は「うつつ(現実)」に対比で使われているので、事実ではないような虚構(偽り、ウソ、デマ)、ゆめ幻のような現実とは思えないようなこと、目に見えない物事などが推察されます。

現実として実感できる事柄の他に、「うつろ」な物事も人知れずひそかに起こって行くということなのでしょう。

これから先、どんなことが起こっていくのか、歌の詠み手は言いたくても伝える事ができずもどかしい気持ちであること、また起こるのを止められない不甲斐ない気持ちであると歌に込めています。

一方で、文中の「たつにたたれぬ ふがいなさ」は、「辰に祟れぬ(→辰年に祟られる)のを見るのが偲びない」という意味にもなります。祟りとは、神仏がもたらす災いの事で、自然災害や疫病などです。恐らく次にやって来る辰年に祟りがあるという事ではないでしょうか。

次にやって来る辰年は「2024年」です。旧暦に当てはめると、2024年2月4日(立春)~2025年2月2日(節分)となります。この旧暦の辰年は「ニの重なる年」の最初の年でもあり*、大峠の始まる時なのかもしれません。

*2020年立春~2021年節分もニの重なる年になるかもしれないのですが、私は大峠の始まりは上記の辰年のような気がします。

歌の続きですが、「やがてふきたるいぶきうけ~」以降は、大峠(度重なる試練の時)を乗り越えた後?のことを伝えていて、神様からの伊吹を受けると、種ある御霊に光が芽生えるとあります。

神様に触れることでパワーをいただく事は日常でもあります。例えば新年に初詣をしたら心機一転、新しい気持ちで今年も頑張ろう!と思えたり、お祭りに参加して活力をもらって元気が出た!など。

そうした時には神様からのパワー(伊吹)を受けて、自分の中にある生命力が奮い立たされているとされます(いわゆる、ハレと褻枯れの考え方)。

歌では大峠を乗り越え、種(磨かれた魂)を持つものには、神様からの伊吹を受けて、自分の中にある生命力が奮い立たされて萌え出すだろう、とあります。(だから辛い時も頑張りなさい、という励ましも含まれていると思います)

 

新たな「記憶のお告げ」(9/25)の考察2

原文:「まことのつちの たつおりて、はじまるみよは ひかりのよ、いたるみちのり きびしけれど、わしてねぎれば みちはひらけん おどろくなかれ たまてばこ、つちうみそらも ひちへんげ やがてしるべし きんのむなしき、やがてくゆべし いくさむなしき」についての考察です。

この歌は、時白砂様が「やがて来たりし時を知らすぞ。」と仰り詠まれた歌の一つ(3つ目)です。

訳:「真の土の 辰おりて、始まる御代は 光の世、至る道のり 厳しけれど、和して祈れば 道は開けん 驚くなかれ 玉手箱、土海空も 七変化 やがて知るべし 金の虚しき、やがて悔ゆべし 戦虚しき

意味:真の土の辰が降りて始まる(神様の)御代は光の世である。至るまでの道のりは厳しいけれど、(皆で)和して祈れば道は開けるだろう。

驚くなよ、玉手箱を。土も海も空も七変化のように様変わりする。やがて知るだろう、金が虚しいことを。やがて悔やむだろう、戦が虚しいことを。

考察:「まことのつちの たつおりて」は、干支(かんし)が戊辰(つちのえ たつ)にあたる2048年2月4日~2049年2月2日(次の旧暦の戊辰の年)と推察されます。

干支(かんし)とは、十干と十二支を組み合わせたもののこと。戊辰(つちのえたつ、ぼしん)は、十干の戊は土の陽干、十二支の辰は土の陽支なので、十干と十二支で、同じ「土」の気が重なります。

歌の「まことのつち」は、十干と十二支の気が同じ「陽の土」の比和の時、という事だと思います。

※比和(ひわ):同じ気が重なると、その気は盛んになる。その結果が良い場合にはますます良く、悪い場合にはますます悪くなる。

この戊辰からは、光の御代が始まるとありますので、大峠が終わり?、新しい世に生まれ変わる時なのでしょう。

大峠の始まりが2024年2月4日~2025年2月2日(旧暦の辰年)とすると、大峠は戊辰に至るまで実に24年続くことになります。

長く厳しい道のりだが、皆で和して祈ることで道は開ける。そしてたどり着いた戊辰には「玉手箱」が開きます。

「玉手箱」とは、地上(土)、海、空が生まれ変わる大変革のことなのでしょう。恐らく魂産みの君の「産魂、ムスヒ」の力によるものだと思います。

実際にどのようなことか起こるのか想像もつきませんが、大変革を前にしたら、お金の価値など無意味なことを知るし、戦争も無駄なことだったと悔やむことになるだろう、とあります。

光の御代が始まる戊辰には、私達を取り囲む世界(天地)も、それまでの価値観も、つまり目に見えることも見えないことも、あらゆることが変革の時を迎えて新しい時代に入って行くのでしょう。

だから、お金に振り回されたり戦争なんてすることが、無駄で無意味だと早く気づきなさい、とお告げは伝えているのではないでしょうか?

■まとめ

時白砂様の伝えて下さった「やがて来たりし」時とは

(1)節分
(2)2024年2月4日~2025年2月2日(旧暦の辰年)
(3)2048年2月4日~2049年2月2日(旧暦の戊辰の年)

になります。

(1)「節分」は、いろいろな意味でキーポイントになる気がします。

→節分翌日の立春が「年明け」になることから旧暦を示唆。
→旧暦の節分が2月2日の年は特に気をつける年(二の重なる年)
→疫病を暗示?(起こる災厄のうち特に深刻なのかも)
→今後富士山に現れるお印は節分~立春の頃にあるのかも?

(2)は恐らく大峠の始まり。

(3)は光の御代の始まり(大峠の終わり?)

ところで(3)で玉手箱が開くと、天地が大変革を迎えるようなのですが、これはむしろ大峠よりも大きな動きなのではないでしょうか?どんな風になるのか、まだまだ想像もつきませんが。

・お告げをいただいた時白砂様について。

お名前は「時を知らす」の意味でしょう。「知らす」には、「知らせる」という意味と「治める」という意味があります。つまり時白砂様は「時」を治め、暦と深い関係のある神様ではないかと思います。

 

「記憶のお告げ」の続き(9/26)の短歌の考察

「記憶のお告げ」の続き(9月26日掲載)の短歌の考察です。

枯れ葉落ち 小節(小雪)大節/大切(大雪) 乗り越えて 雪と撒かれん 海の潮花

意味:枯れ葉が落ち、小雪・大雪を越えるように海の潮花(=波の花)が小節・大節を乗り越えても、雪と撒き散らされて区別がつかなくなってしまう

考察:二十四節気で小雪は11月21日頃、大雪は12月7日頃。

海の潮花は波の花のことでしょう。波の花とは、厳冬の日本海側で見られる白い泡状のもので、波に寄せられて海岸に溜まっていたり、風で飛ばされて舞い散る姿は雪のようにも見えます。

おばあちゃんが受けるお告げは、波に乗せて伝えられることが多いですよね。

つまり、この歌の「海の潮花」はお告げの比喩として使われています。

小節=つまらない義理のこと
大節(大切)=重大な事柄、大事のこと

この短歌は季節の風景に掛けて、「お告げ(=波の潮花)を伝えても、似て非なるもの(=雪)に紛れてしまい、区別がつかない。小節を乗り越えるときに散らされて他に紛れてしまうし、肝心の大節(大切)を見過ごして(スルーして)しまっている」と伝えています。

お告げの考察が入り乱れて本意が埋もれているということでしょうか。

 

スポンサーリンク

-予言・予知・占い