【命の旅立ち】『生前』とは~「四十九日まで、修行の道に」~(9月12日)
『生前』とは
投稿者:なおさん
投稿日:9月6日(月)
ゆっくり時間をかけて故人の思い出話をしながら、四十九日までは、ご遺族は思いにふけるのも供養だそうです。無理に元気を取り繕うこともないのかと。
先日投稿、掲載頂いたのが、僕の血の繋がってないけど、幼少期から育ててくれた父の不思議な話でした。
簡潔に再度お話すると、病に倒れ、大好きだったタバコを辞めた父が旅立ち、告別式の日に、棺に入れようと用意したタバコを祭壇に供え、家族と喫煙所に行って一服していてら、何も通っていないのに喫煙所の自動ドアが開いたこと。父が来たのかな。
また、手の自由が利かなくなっていて、よくこぼしてしまっていた父なのですが、告別式、火葬を終え帰宅すると、父の座っていた場所が、濡れていたこと。
また、数年前にお経の最中にロウソクの火が消えた、叔父の葬儀の不思議な話も掲載頂きました。
今年8月13日に旅立った父ですが、レオさん同様、悲しみもそう、〇〇してあげてればとか、なんであんな言い方したのかなど、後悔も沢山ありました。僕の気持ちを切り替えてくれたのは、お坊さんでした。
お通夜のあと、お坊さんがお話をして下さいました。
人間は体にはガタがくる。いつか皆、旅立ちます。
けど、これは、こちらの世界からは旅立ちかも知れませんが、借り物の体から命が生まれた時なのです。
死イコール、誕生なのです。
だから、『生前』て、生まれる前、と書きますよね?生きていた頃を生前。生まれる前なのです。
これから生前の俗名から、法名または戒名と言ったりしますが、新しい名前で生まれ変わり、四十九日まで修行の道に出ます。
修行が終われば皆さんの元で見守り、帰ってきてもくれます。その家が仏壇です。お墓は体の安置、仏壇は命の安置。
修行を応援するため、湯気、煙を仏様は好みます。
なので、せめて四十九日がすぎるまでは、お線香を焚き、朝には暖かいご飯、お水、お茶を供え、今まで育ててくれたお父様を今度は育ててあげて下さい。四十九日が終わっても、お墓、仏壇にはお父様がいます。
なので、できればお供えは絶やさずに。一緒にいてくれますから。
と。信じるか信じないかはあなた様次第の話になってしまいますが、僕は信じて、悲しいけど、亡き父のために、供養しよう!修行の応援しよう!と、気持ちを切り替えることができました。
今でもたまには涙が出ますけどね!長々と申し訳ありません。
なるほど、「生前」ってこちらの世界で暮らしていた時のことだと思っていましたが、「生まれる前」ととらえると、あちらの世界で新たに生まれ変わるという意味になるのかも知れませんネ~
仏教では四十九日が一つの大きな節目ということで知られていますが、四十九日まで「修行をする」というのは初めて知りました。
宗教によって死の受け止め方や、死後の世界観というのは違うと思いますが、不思議なことに宗教や文化に関係なく、人は似たような臨死体験をすることが知られており、あの世とこの世の境界が日本では「三途の川」だったり、海外では「砂漠」や「崖」などの違いはあるものの、大きなトンネルを抜けたり、お花畑がある光景は共通していることが多いようです。
そして、「生まれ変わり」の研究においても、前世の記憶を元に検証が行われ、宗教や文化圏に関係なく「生まれ変わりが存在している」という客観的状況証拠は確認されているそうです。
ですので、やはり本当に「死後の世界=あの世」というのは存在しており、キリスト教では認めていませんが「輪廻転生」というのも実際にあるのだと思わざるを得ません。
いずれはボクたちも旅立つ時が必ずやってきますから、その時に真実が分かると思うと、ちょっとワクワクしますネ~(笑)
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