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[不思議体験記-1冊目-]みなさんからの投稿
2018/04/10
不思議探偵社は、みなさんの不思議な体験や恐怖の体験、奇跡的な出来事などの投稿をお待ちしています。「異世界へ行ったことがある」「UFOにさらわれたことがある」「前世の記憶がある」「河童と相撲をしたことがある」「悪魔にとり憑かれたことがある」といった話、またそういった話を聞いたことがある、という方は、ぜひご投稿を!
黒い影
投稿者:愛i1 さん
投稿日:12月30日(金)
21歳の頃の出来事です。
その当時よく金縛りに遭うことが自分の部屋であり怖くなり、下のリビングで寝る毎日でした。
金縛りも身体の疲れからなのかはよく分かりませんが、1度金縛りが来て終わりそうなときになると、また金縛りが始まりだし、2、3回位続くことも珍しくありませんでした。
決まって、金縛りのときは頭が締め付けられる痛みでした。そのような事が毎日起こる時の話しです。
自宅のトイレに言った後、ふっと階段上を見ました。分かりにくいかもしれませんが、トイレから出て廊下を真っ直ぐに行くとリビングがあり、その途中に真っ直ぐの階段があります。
階段上の右には私の部屋、左には母親の寝室といった作りになっております。
話しは戻りますが、ふっと階段の上を見上げたときに、左(母親の部屋)から、右(私の部屋)に黒い影がスーと、入って行きました。見間違えとか有り得ないくらい、はっきりとした黒い人影でした。
私はビックリし、母親にその事を話し、見に行って貰いましたが、何もいませんでした。
補足ですが、お恥ずかしながら昔からビビりな私はトイレに行くにも廊下、階段、トイレの電気全てを点けてじゃないと行けませんでした。
上には書いてはおりませんが、その当時帰宅したら付けた覚えがない、電気が着いていた。などもありました。母親も点けていないと言い、私は自分の部屋には怖くて入らなかったので、私でもありません。
一体あれがなんだったのかは今でもわかりません。
ゲーム
投稿者:弾丸 さん
投稿日:1月3日(火)
私の話はつまらないものですが、他に同じような方がいらっしゃれば目の錯覚ではないのだなと自分なりに納得できるので是非お力を貸していただきたく投稿いたします。
夜中目が覚めたとき、枕元のiPhoneの画面は真っ黒なんですが、その真っ黒な画面で見たことの無いゲームが展開されてることってありますか?他にそんな画面を見た方っていらっしゃるでしょうか。
画面は真っ黒のままです。でもスゴい勢いでゲームが進んでるんです。
かなり長い時間見たりしてるので、それが上達者のテクニックであろうと理解できるのですが、なんのゲームなのかさっぱりわかりません。
私は2度体験しました。
周りからは目の錯覚や寝ぼけ、幻覚等まぁそうだろうなと思う反応をされましたが、見たものを勘違いとはどうしても思えないのです。
目があてにならないことはそれなりに理解しているつもりです。
幻覚って、感じや漢字としてはなんとなくわかりますが、じゃ一体何に映されたものを見ているのでしょうね。
そんなことを考えながら、真っ黒な画面で展開される、そのゲームのコンボらしきものを眺めていました(笑)
目の錯覚みたいなものは他にあるんです。でもそれもずっと引っかかっているので錯覚じゃなかったんだろうなと思っています。
三人の子供
投稿者:すなふきん君 さん
投稿日:1月5日(木)
某半導体研究所で勤務中の話。クライアントとの打ち合わせを終えてコンピュータールームへ移動する際、会議室のドアを開けたときの体験談。
ドアを開けたら目の前を5~7歳くらいの男の子二人と女の子一人が走りぬけた。その研究所は休日に勤務者の家族が出入りすることはあるが、平日には見たことが無い。
クライアントと一緒に「平日なのに珍しいね」と言いながら、その子らの後を追う形でコンピュータールームへ向かいました。
子供たちはコンピュータールームへ向かう通路へ右折し、我々も同じく右折しました。その先は行き止まりで、ユーザーが使用する端末室と技術者専用のオペレータールームしかありません。
我々がコンピュータールームへ入ると子供たちの姿が無く、無人の端末室の風景があるだけでした。念のために端末室にあるMTデッキ裏を確認しましたが無人でした。
オペレータールームへ入室する際はID磁気カードを使用しなくてはなりません。我々はオペレータールームへ入室し、担当していたオペレーターに「子供三人来たでしょ?」と確認したが「誰も来ていません」とのこと。
それを聞いた担当オペは最初は冗談だと思っていましたが、我々の話を聞くうちに震え上がっていました。と、言うお話です。
一人ではなく他人と一緒に見てしまったレアなケースでした。
私の父方の家系が霊感が強くて、幼少の頃から父や父の親族・私と妹は不思議な体験をしています。
ここの研究所で他に二回、近くの某半導体工場でも数回の不思議体験がありました。三十代後半から霊感が弱くなりましたが、今でも(現50歳)若干の霊感があり適度にムカついています。
霊視
投稿者:taka さん
投稿日:1月6日(金)
今から16年前からのお話しです。
私はその時はバツイチで嫁さん探しをしていて、それでやっと再婚できて結婚式を終え5日目の事です。知らない番号から電話があり、でると元嫁でした。
元嫁 「子供をお願いします」
taka「はっ?」
元嫁「私死にます」
taka「はっ??」
元嫁「末期癌です」
taka「はーーーっ??」
元嫁「よろしくお願いします」
taka「・・・・」
あと何を話したのか思いだせません。この時生まれて初めてなんとも説明つかない感情を経験しまた。そして元嫁は2ヶ月後に亡くなりました。
当時、妹夫婦が何やらいかがわしいことをやっていることを知っていました。たまにやって来て
これをツボに貼るといいとか。この数珠や水晶がいいとか。
元嫁が入院して治療は延命するだけで助ける方法はなく、もう奇跡を起こすしかないと思いやれる事はやってみようと報告を兼ねて妹夫婦の所へ行きました。
その時に泣き崩れるぼくを見て、妹が「でも別れててよかった。別れてなかったらお兄ちゃんの体も心も、もたんかったかも」
そして、妹の旦那がなにか呪文のような事やって「これは まずいなー」って……
妹の旦那は「寿命をみた」ということでした。
妹夫婦には霊能力?らしき力をもった先生(霊能者)が2人いて、ひとりは近所に、もうひとりは県外に住んでいます。すぐに近所の先生に会えるように手配してくれました。
その先生(霊能者)に会うにあたっての注意事項と、元嫁の家の間取り図をもって半信半疑で向かいました。
霊能者に興味を持ってる人は知っていると思いますが、振り子を使う先生でした。重りを付けたひもを棒の先につけ、それをもって家の間取り図の上で移動させるものです。
北東の所で急に振り子が振れはじめました。また場所をかえると振り子はおさまり、また北東の所で振れはじめます。
taka「(怪しい・・・自分で振ってるんじゃないか?)」と思うと
先生「持ってみる?」
持ってみると、結構錘(おもり)が重たくて振れない事もないけど手でぶりをつけるというか、手で振ってるのがバレバレな状態になるし、なにより突然振り子が止まる事は、錘に何かの力がかからないと無理に止まるようなことはありません。
taka「(これは本物か!)」と思いました。
その先生は本当の事を教えてくれると聞いていました。もしかしたら「助かる」という答えを待っていましたが、結局助からないと……
元嫁は看護婦で11月に末期癌と診断されましたが、その年の2月には健康診断をしてました。でもその時には癌が見つかってなく、その事がおかしいとゆうことで妹夫婦がこの先生も紹介してくれたようです。
先生が言うには「病気は家に悪い力があるせいで、今は私でもどうする事もできない。そして、その悪い力を今は元嫁が1人で背負っているけど、2人いる娘の下の子の方にも行こうとしているので、出来れば引っ越しした方がいい」と言う事でした。
引っ越しも、移動するには駄目な方角があるようで、それも教えてもらってすぐに引っ越ししました。
先生の所で振り子を始める時、先生が「来ました」のような事を言った後に鳥肌がたったので
taka「鳥肌が・・・」と言うと
先生「鳥肌がたちましたか」と言うのを覚えていて、後で妹から「あの先生は霊(神)に教えてもらっているんよ」を聞いて、もしかして僕は「もしかして霊を感じた?え?」ってなったのを覚えてます。
一通り終わり、お礼をしようとお金を入れた袋を渡そうとカバンから出すと
先生「えっ!そんなに! 私は受け取れないので向こうの神様にお供えして下さい」と言います。妹からお礼は2~3000円で聞いていましたが5000円入れてました。どうして中がわかったのか、その時は不思議に思いました。
続く……
続き
先生の所での出来事を報告するために妹の所へ行きました。
taka「駄目みたい・・・」
妹「最後まで諦めないで、もうひとりの先生にも聞いてあげるから。それと、この事は元嫁さんと子供には言わないようにしよう。」
taka「わかった」
妹「元嫁さんの名前と生年月日教えて」
僕は紙に書いて渡し、妹はその紙を持って先生の所へ電話をかけました。その時、妹はとても丁寧な言葉遣いで対応してたのを覚えてます。
電話の結果は「助からない」でした。
生年月日と名前だけで、しかも電話で元嫁にも会ったことないのに・・・「適当な事言ってるんじゃないか!?そんなことなら僕でもできるわ!」と言うのが本音でした。
でも助からない理由とやらがあるので一応教えてもらいました。
癌にも、いい癌と悪い癌があって元嫁さんのは悪い癌です。延命する事もできるが、その力を信じないし望んでない(諦めてる)と言う事です。もう何が何やらさっぱりわかりません。
でも妹はこう言います「先生は他人のほとんどの事がわかる」と。
未だに信じられませんが、アキレス腱が切れても治癒に間に合う時間内であれば体にふれずにくっつけることができるそうです。
taka「それは何?」
妹「気功っていうものよ。近々私の家に来ることになってるけど、お兄ちゃん来る?」
taka「行く!」
これが気功との出会いでした。
先生に会う前に少し気功の事を知っておこうと本を買って読みました。今でも少しだけならできますが(本当にたいしたことではないんですが)、やれば驚かれます。
数日後、先生に会う日が来ました。今嫁と2人で行ってもよかったんですが今嫁が里に帰っていたので1人で行きました。
先生はすでに到着していました。家に入るとそこにはニコニコして酔っ払った普通のおじさんがいたのでした。
気功の先生は僕の未来の預言をされました。当時、僕はA社に勤めていましたが、先生は「B社に勤めてますね」と。B社はA社のライバル会社でした。
「(はずれたわ笑)」と思い、「いいえ、A社です」と答えました。
先生「服はB社ですけどね、、まーいーわ、そのB社で55歳まで、ええなー」
それと「奥さんの言う事よく聞きなさい」と言われました。未来は変わるので、未来を見るのはあまりやらないそうです。
その後、気功の先生とは電話で話しはしましたが会うのはその時が最後でした。
自分も先生みたいになりたいと思い、気功を勉強、練習して少しだけできるようになりました。気功できるようになったことで有頂天になってしまい、仕事を辞めて気功の先生もどきを始めました。
結局、もどきでは役に立たず半年ほどでやめることになりました。
色々と仕事を探しましたが、やっぱり以前やってた仕事が良いと思い、何社か面接に行きました。
その中に、先生が預言されていたB社も入っていたのです。
B社は正社員ではなく下請けなら使ってくれる事になり、下請けも社員と同じ服を着て仕事をします。
仕事を始めて1年ぐらいは経っていたと思います。妹と気功の先生の話しになった時、預言のことを思い出しました。
taka「(そー言えば先生、B社の服着てる言ってたわ!)当たった!」
それで話しをよく思い出すと「55歳までは大丈夫言ってたなー、そーゆーことなら今の仕事55歳まで大丈夫なんじゃ!?」と思い、忙しさに負けずに一生懸命頑張りました。そして今では自分が下請けを何人も雇える様になりました。
忙しい状況は続き、50歳ぐらいからずっと健康診断の予約を入れても、その日に仕事が入りキャンセルをしていました。
そして54歳の時、息子が僕の仕事を継いでくれる事になりました。先生の言っていた「55歳まで」ってこの事だったんかな?と思っていました。でも息子は一年で仕事ができる様になるかな?とも思っていました。
息子も手伝ってくれていたので、今回は健康診断に行けるかなと思い予約をしました。しかし、また当日急な仕事が入ってキャンセルしなければならなくなりましたが、今嫁が「ずっと行ってないからいかないとだめよ」としつこいので、元請けに無理をお願いして休みませてもらい、健康診断に行くことになりました。
健康診断の結果は再検査が必要。そして再検査の結果、癌でした。
運良くステージ1で癌も手術でとることができ転移もありませんでしたが、癌のおかげで現場に復帰できなくなり、制服を着なくなりました。それが去年、55歳の時です。
偶然でしょうか?未来は決まっているのでしょうか?
見知らぬおじさん
投稿者:ヨウコ さん
投稿日:1月7日(土)
今から20年以上も前の話しです。私が小学生だった頃の事です。
当時の私は身体が弱くて、事あるごとに風邪等で良く学校を休んでいました。その日も中耳炎の治療の為、下校後、耳鼻科へ向かいます。
ここで当時の駅周辺の説明をしたいと思います。
場所はとても田舎だったので、耳鼻科へ向かうにはバスを乗り継いで行かなければいけませんでした。最寄り駅までは子供の足では40分程掛かる距離にあるので一旦バスで駅まで向かい、そこから耳鼻科近くのバス停まで乗って行く感じです。
その頃は駅まで行くと少し先にバスターミナルの待合室があって、屋根付きの大きな場所で、蕎麦つゆのいい匂いがした場所でした。それから当時、私の両親は共働きをしておりました。
話を戻します。
その日の治療後、いつもの様にバスに乗って帰ります。帰りのバスはバスターミナルが終点になっていて、家へ向かうバスはもう出ていなかった記憶があります。
治療が終わったら自宅にいる母に電話をして、母が自転車で迎えに来てくれるといった感じでした。(今の様に携帯がない時代ですので、母が仕事を終えて自宅に帰る頃、ちょうど私の治療も終わってる時間になっていましたのでそこでやり取りをしました。)
バスターミナルに着くと雨が降って来ました。通ってた時、雨が降った事が殆どありませんでしたが、母に電話すると『迎えに行くから待ってなさい』といつもの様に言います。
母は待ってなさいと言うけど、陽は傾き辺りは暗くなって、雨も降って来て、そのせいか何故かいつもの光景とは全く違って見えました。そのいつもと違う光景が心細さに更に拍車をかけたのを覚えています。
子供の感性がそうしたのだと思いますが、違って見える光景が嫌でとにかく早く家に帰りたくて帰りたくて仕方がありませんでした。
そして、どうしても心細くて、その場に居ることが出来なくて、とうとう一人で家に帰ろう!と決めたのです。
幸い雨は降り始めたばかりで雨足も強くありません。バスターミナルから家まではずっと真っ直ぐいくだけです。道路は片側一車線の道路。母が自転車に乗っているなら必ずスレ違うはず。
『いつも来てる道。大丈夫。』自分に言い聞かせて走り出しました。
すると
『待ちなさい!!』タイミング良く後ろから男の人の声がします。
それでも走り出そうとした時、今度は
『止まりなさい!!』
えっ?私のこと?止まって振り返るとスーツを着た男の人が傘をさして立っています。
『入りなさい。』
どうやら私に傘の中に入る様に言ってます。私は人に対して自分の意思をハッキリ言える子ではありませんでしたが、この時はハッキリと断りました。そしてまた走り出そうとしたら
『いいから入りなさい』
語尾が強く勢いのある口調と気迫にビックリしてしまい、しぶしぶ傘の中に入りました。
男の人(おじさん)が言うには自分も同じ方向だから、近くまで傘に入りなさい。って事でした。知らない人と一緒に行くのは何かあったら大変な事になる。でも、どうも悪い人ではないと子供の直感で感じていたのは不思議です。
それでも念の為、おじさんとのやり取りは派出所の前、踏み切りを越えた先には酒屋があって、その先に食堂があって、また歩くと違う食堂があって、食堂を過ぎて少し歩くと個人のスーパーがあってと、今はない個人のお店が等間隔に点在していましたので、何かあった場合は直ぐに駆け込める様にと思っていました。
私は男の人の腰位の背丈でした。歩きながら最初の会話以外は全くありませんでした。男の人の革靴と自分の靴、そして濡れてる道路を見ながら歩きます。
母とスレ違うはず。
そう思って行き交う人や自転車に乗ってる人を何度も確認してましたが母は見当たりません。
会話もなくずっと歩いていると、ようやくやっと向こうに家が見えて来ました!嬉しかったです。
ここでおじさんにその旨を伝えてもう一人で大丈夫だと伝えようとした所、男の人の歩いてた足がピタリと止まり
『おじさんはここまでだけどもう大丈夫だね。』そう言って左側にある砂利道の方向へ行きました。
『ん?』
お礼もそこそこでしたので、おじさんが歩いて行った所を直ぐに見渡しましたがおじさんの姿はもうありませんでした。当時おじさんが歩いて行っただろうその道は砂利道が真っ直ぐになってる道で両脇は田んぼでした。周りに家はありません。
なので、おじさんと別れて直ぐにその道を見ると、おじさんの姿がない事にとても不思議でしたが、とにかく急いで家に帰りました。
母は私が帰って来て少ししたら帰って来ました。家に帰ると一人で勝手に帰って来た事をとても叱られました。
母は私とスレ違う道路を何度も通ったけど、私の事は見掛けなかったと話していました。不思議ですが、私も母もお互いに見掛けなかったのです。
今でも思うのですが、あの場で姿が見えなくなってしまったあのおじさんは一体誰だったのだろうと今でも思います。