【不思議体験記】みなさんからの投稿~ユダヤ人少年だった私の前世記憶~(8月29日)[No.0228]
ユダヤ人少年だった私の前世記憶
投稿者:アンジェラloveさん
投稿日:8月18日(火)
レオさん、いつもありがとうございます。ワルシャワゲットーから脱出でき、家族で一人助かったユダヤ人少年だった私の前世記憶を以前ご掲載いただき、ありがとうございました。
BSの『戦場のピアニスト』の予告をみて、30年以上前から不思議なメッセージやビジョンのシンクロが続いて、自分がカトリック系レジスタンスに助けられた記憶がよみがえったことを思い出しました。
きっかけは杉原千畝さんの母校の大学で、彼がクリスチャンの外交官で、命令に背いてユダヤ人に日本通過ビザを発給したことを初めて知ったことでした。
杉原さんの奥様の『六千人の命のビザ』の発売前で、まだ功績が知られる前だったので、「あの時代に、そんな勇気ある外交官がいたのか!」ととても驚きました。
その頃「神戸でわかる」とメッセージが浮かんで神戸へ行き、ふと立ち寄ったところで、そのビザでシベリア鉄道と船を乗りつぎ、命からがら敦賀に着いたユダヤ人難民が、神戸などで支援されて無事に第三国へ逃れたことを知りました。
「あのビザで助かった人達だ!」と涙が止まらなくなり、なぜか「私も助けられた」とメッセージが来て、無名の勇気ある人達に命がけで助けてもらったビジョンが次々浮かんで少しずつ思い出しました。
木箱に隠れてゲットーを脱出し、カトリックのポーランド人孤児を装い、郊外の家を転々として匿ってもらったこと。
尋問されたときのために、カトリックの習慣ができなければ危険だったこと。
イディッシュ語の他、ポーランド語、ドイツ語、英語も話すワルシャワの商家で、クリスチャンとも深いつながりがあり、すんなり真似できたこと。
早いうちにベヒシュタインのピアノや家具等を売って、カトリックの知人達にお金を預かってもらっていたことも幸いしたこと。
残念ながら両親や兄姉、親戚は全員どこかの収容所で亡くなり、この少年も解放後、20代後半で生涯を終えたこと。
数ある前世の中でこれが一番新しく、はるか昔の前世ではカトリックの修道女で孤児院で奉仕していたこと…など。
少しずつ思い出すうちに、持っていたツテや財力をもっと早くいかして、他の家族も助かることができなかったか胸が痛みました。
でも、もっと裕福で早く逃げられたアンネ・フランク一家でも遅かったように、「情勢を見極めるのが難しく、(歳が離れた末っ子の私のために)家族は精一杯してくれた」とメッセージで知り感謝しました。
数年後「ダッハウ、日系人、ハワイ」とメッセージが来て、ソリー・ガノール著『日本人に救われたユダヤ人の手記』を読み、著者が少年時代にリトアニアで杉原さん一家とおつきあいがあったと知って驚きました。
ダッハウ収容所を解放し、雪の中で瀕死のソリー少年を救出したのが、ハワイやカリフォルニア出身の日系アメリカ人部隊だったことも知りました。
そのとき、私の前世の家族は「ダッハウで父と兄、アウシュビッツで母と姉が亡くなった」ともメッセージで伝えられました。
さらに数年後、映画『戦場のピアニスト』を観てから、シュピルマンを助けたドイツ人将校は実在のカトリック教徒で、カトリック系レジスタンスと協力して陰でユダヤ人をたくさん助けていたと知りました。
街の記憶やナチスの制服、軍靴の音や戦車の振動などがよみがえって震えましたが、ベヒシュタインのピアノが「懐かしい」とも思えたし、観た後にメッセージで「(この将校が協力した)同じカトリック系レジスタンスに助けられた」と教えられました。
また、そのユダヤ人の前世の前は、「19世紀後半にハワイに渡った日本人男性(1世)」だったことも教えられ、そこから日系人の歴史を調べるようになり、ホノルル空港の名前になったダニエル・イノウエ元議員にもつながりました。
彼もヨーロッパの最前線を転戦し、収容所を解放した日系人部隊にいたことがわかり、不思議な「ユダヤ人と日系人つながり」のシンクロは今も続いています。
昔のワルシャワはほぼ残ってないですが、思い出した所の跡地でもいいので、行けるようになったら行って感謝したいです。
ハワイの日系人墓地にも、いつか行ってそっと感謝を伝えたいと思っています。
長文失礼しました。
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